![]() |
|
|
2011年(平成23年)の活動 | |
1月17日 | 第4回総会 |
3月19日 | 震災見舞い |
5月26日 | 宮城県内小学校の修学旅行訪問先を これまでと同様に会津地方とするよう 宮城県知事、仙台市長等に要望 |
6月2日 | 原発風評被害に関し 会津若松市長から支援の要請 |
6月19日 | がんばろう会津!「伊達な支援の翼号」ツアーのご案内 |
6月6日 | 第8回例会 |
7月9日 | がんばろう会津バスツアーに参加 |
7月28日 | 会津若松市長から感謝状 |
8月1日 | 納涼ビアパーティ |
10月16日 | 芋煮会、ゴルフ大会 |
納涼ビアパーティ2011を開催 |
|
2011/8/4 8/6一部修正・追加 |
昨年初めて催し好評だった「みやぎ会津会納涼ビアパーティ」を今年も8月1日(月)に開催しました。 例会とは一味違う肩のこらないにぎやかな暑気払いをと呼びかけたところ、会津若松から特別参加の皆さんも駆け付け45名が参加、話に、歌に、踊りに盛り上がり、にぎやかなパーティとなりました。 会場は、仙台駅前新東北ビル9階にこの春オープンしたばかりの食自慢のお店「よくばり酒場 三枡三蔵(みますみつくら)」で、会費はなんと3,500円と格安でした。
日帰りバスツアーを伝える福島民報 |
みやぎ会津会は会津若松市長から原発風評被害に対する支援活動で |
|
2011/7/31 |
7月28日朝メトロポリタンホテル仙台で、須佐尚康みやぎ会津会会長は仙台を訪問した菅家一郎会若松市長から、福島第一原子力発電所事故の風評被害が及んでいる会津若松市にみやぎ会津会が数々の支援活動を行ったことに対し感謝状を贈呈されました。 贈呈式の様子はTBC等の取材を受け、放映されました。
|
がんばろう会津!! 日帰りバスツアーに参加 | |
2011/7/10 | |
福島民報社が企画した 「がんばろう会津!! (仙台から会津への)日帰りバスツアー」 に みやぎ会津会も須佐会長他が賛同して参加、7月9日(土)会津を訪問してきました。 1号車は一般参加の方が36名、2号車はみやぎ会津会関係者が34名で70名のツアーとなりました。 みやぎ会津会関係者は会津出身者が多く、あらためてふるさと会津を見直す良い機会になりました。 アルバムでツアーの様子を紹介します。 |
みやぎ会津会第8回例会を開催しました | ||||||||
2011/6/25 21011/7/10 内容追加 |
||||||||
6月6日(月)18時30分からホテルメトロポリタン仙台21F銀河の間において、第8回例会を開催しました。出席者は60名でした。 今回の講演は、
「東日本大震災と福島の現状」と題し、 福島民報社常務取締役編集主幹 佐藤春雄氏 のお話を伺いました。講演の要旨は以下のとおりです。 地震発生時(平成23年3月11日 午後2時46分)、私は福島民報本社2階にいた。これまでに経験したことのない激しく長時間の揺れに生命の不安を感じながら耐えることしばし、気がついたら部屋に残っていたのは自分ただ一人だった。 新聞業界は今回の大震災で大変な影響を受けた。新聞用インキは特殊なものを使用しているが、製造元の丸善石油千葉工場が被災して製造が止まり入荷しなくなった。また、北海道の王子製紙といわき市の大王製紙から購入している当社の新聞用紙については、王子製紙からの用紙は石巻港などが破壊されて荷揚げすることができず、また、大王製紙も工場が被災し製造がストップして用紙が入って来なくなった。このため、8ページの紙面しか作れないときがあった。 当社では、小名浜支局、富岡支局に被害があったが、人的な被害はなかった。福島民友社は原町支局の1名が死亡している。福島のマスコミ関係の死者はこの1名である。報道関係者は、どうしても少しでも前線で取材しようとする習性があって、津波などと聞くとできるだけ近くで取材をしようとしてしまう。私も富岡支局にいたことがあり、そのときであれば、海の近くまで取材に行き津波にやられてしまったかもしれない。 翌日、原発事故の爆発シーンがテレビで放映された。住民は着の身着のまま逃げたようで、ふだん50分かかる道が5時間もかかった。途中でガソリンが無くなると徒歩での逃避になったが、あの日は大変寒く、寒さに震えながらの逃避行になったようだ。 マスコミ関係者も社命により逃避したようで、いわき市には福島民報一社しか残っていなかった。(当社は)逃避すべきとは考えなかったが、他社の記者が逃避し当社だけ記者を残しておくのもどうかと考え、いわき市から離れるように指示したところ、いわき市では「民報が逃げた」「何か情報を掴んで逃げたのではないか」ということになり、混乱した。これも一種の風評被害で、直ぐにいわき市から離れた記者をいわき市に戻して市役所に謝罪した。他のマスコミのうち、共同通信社の記者は社命でいったん山形に避難し、その後戻ってきたものの家から外に出ないので解雇されたと週刊現代で報じられている。時事通信社の記者は東京でも駄目だといって、会社を辞めて子連れで大阪まで逃げていったようだ。医療関係では、九州に逃避した医師がいる一方、福島県立医科大学の合格110名の中から11名が入学を辞退した。県外への転校は浜通りだけでなく中通りでも増えている。福島高校では5名の生徒が山形東高校に転校している。いずれも医者や大学の先生のご子息のようだ。このように福島県の住民が福島が怖くて逃避するのを知り、県外の人は福島は駄目だと認識するようになっている状況である。 福島市では飛来してきた放射性物質が、側溝などで比較的高いレベルの濃度で測定されている。特に信夫山(標高約270m)の麓では高いレベルの線量が測定されている。郡山市では小中学校の校庭で生徒を遊ばせない。校庭の表土に放射性物質が付着しているからだ。校庭の表土を削って運ぼうとしたが,運ぼうとした地域の住民から表土をもってくるなと言われている。学校のプールも周辺の農家からクレームがありプールの水を流せないでいる。教室の窓も開けられない状況であり、これから暑くなると熱中症が心配である。 日本には原子力発電所が福島県以外にもあるが、県名を使用しているのは福島と島根だけである。今回のような事故が発生した場合、あたかも県全体が放射能被災地であるかのようなイメージで捉えられがちである。ネーミングとして県名ではなく、発電所立地の地名採用というのも選択肢としてあっても良かったのではないか。たとえば双葉原発と命名されていればまた違った展開であったかもしれない。福島原発からおおよそ100kmにある仙台市で0.11マイクロシーベルト、ほぼ同距離にある会津若松市で0.17マイクロシーベルトと誤差の範囲でしか違いがないのに会津若松への修学旅行を中止する宮城県の小学校が多い。このような中、名取市立ゆりが丘小学校では6年生118名が会津を訪れた。校長(の宍戸勉氏)は、事前に視察をして安全を確認してからPTAを説得して会津への修学旅行を実施した。子ども達に風評被害とはどういうことかを学んでもらいたかったとしている。 こんな中最近では(風評被害に苦しんでいる)会津若松市が、観光庁の国際観光戦略拠点に選定される見通しとなったという明るいニュースもある。(蔵の街、ラーメンの街で全国的に有名な)喜多方市では団体客がばったりということだ。また、同市では(農業体験や農家泊などを通した)グリーン・ツーリズムでも昨年は小学校で15校の参加があったが、(今年は原発事故による風評被害で参加したのは)1校のみ。中通りでも観光果樹農園(サクランボ農家 飯坂から土湯までのフルーツライン)が昨年は8,000人の予約が今年は300人にも届いていない。福島の名産の桃,梨,リンゴなどは今の状況では買ってもらえない。私もいつもおいしいリンゴを直接農家に頼んで知り合いに送っているが今年はいいよと言われている。個人的にも特にリンゴの熟したのは(ただしこれは市場に出回らない)好きだが、今後福島でのこうした果物等の生産物への影響が心配だ。また、福島県には大企業の工場が多く進出してきているが、今回の震災により建物、機械、設備などが大打撃を受けており操業停止、または不能に追い込まれているところもある。工業関連の輸出品では、放射線量検査済証明書付きでの送付なども。このよう状況にあって、今後企業の県内への新たな進出が懸念されるところであるが、県の担当者はむしろ「既存企業の県外流失防止に重点」を置いているとしている。 今回の(大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の)事故発生により、物事の重大性についての事態説明の曖昧さが浮き彫りになった。風評は、物事の重大性×あいまいさ÷受け手の認識力と考えるが、今回は政府の発表の後出し、「直ちには影響がない」という曖昧な言葉などで風評を大きくしているように感じる。風評被害をなくすには、正しい情報を正しく出す必要がある。 世間の福島に対する見方は当初可哀想というものであったが、空気の流れが変わった。 一つは、東京電力の清水社長に対し「土下座しろ。」と地元住民が怒鳴ったこと。これは地元住民からすれば気持ちは十分わかるが、県外の人からするとやりすぎじゃないかという気持ちになったようで抗議されるような流れとなり支援が萎んでしまった。もう一つは、天皇陛下の前で胡座をかいて会った人がいた。もしかしたら足を怪我して正座できなかったのかもしれないが、テレビはそこだけピックアップし、繰り返し映像を流すことから福島のイメージを下げてしまう。 (マスメディアの)情報発信のあり方に留意すべきだ。 今は一刻も早い福島第一原発事故の収束が大事。そして県民がへこたれないで頑張ることが肝要。そうすれば風評は必ず打ち消せる。 最後に福島民報のキャッチフレーズを゙。『福島は負けない』 飯沼石巻赤十字病院長へ花束贈呈
例会では、石巻赤十字病院長で当会会員の飯沼一宇氏に対し、須佐会長からこれまでの活動をねぎらうあいさつがあり、新田純子会員から花束が贈呈されました。 須佐会長はあいさつの最後で「飯沼院長は会津の誇りです」と締めくくっています。 飯沼院長は、「非常時でも医療活動ができたのは、全国からのご支援があったからこそです。地震、津波、原発事故、そして風評被害と起きましたが、これからはとにかく頑張っていくしかないでしょう。一生懸命頑張る。皆で頑張るということです。」とあいさつされました。 「喜多方」を歌う 瀬ノ内まり さん特別出演 (この項 7./10UP)
懇親会に移り、札幌市出身の歌手 瀬ノ内まり さんが特別出演し、「喜多方しぐれ」、「ろくでなし」などを披露していただきました。 中締めは、橋本俊一会員でした。 指での三本締めはなかなか趣があるものでした。 |
がんばろう会津!「伊達な支援の翼号」ツアーのご案内 |
|
当会会員で福島民報社仙台支社長の鈴木正実さんから、 「福島民報は仙台から会津への日帰りバスツアー、 がんばろう会津!『伊達な支援の翼号』を企画し、河北新報社後援、阪急交通社主管のもと、7月9日(土)に実施することになりました。ついてはみやぎ会津会からも多数のご参加を。」 との連絡がありました。 連絡の要旨と旅行内容は以下のとおりです。 ご希望の方は、添付PDFファイルをご覧の上お申し込みください。 |
|
2011/6/19 | |
がんばろう会津! 仙台発日帰りバス「伊達な支援の翼号」ツアーを当社で企画、河北新報後援、阪急交通社主管で7月9日(土)に実施することになりました。料金は昼飯(会津名物のわっぱめし)付きで4,980円という値段になりました。食事をいくらか良くしたため当初より弱冠高くなってしまいました。河北新報に告知広告(添付)(110619.pdf へのリンク)が載っています。 とにかく会津に行っていただき、安全性を実感してもらい、地元で閑古鳥が鳴いているお土産店などでちょっとした買い物をしてもらおうというもの。当日は、午前8時に仙台駅を出発、午前中に赤瓦になった鶴ケ城を見学、昼食後に松平家の御廟、飯盛山を見てお土産屋で買い物を楽しんでもらい夕方には仙台に戻るというコースです。 今回楽しんでもらうのはもちろんですが、さらに、夏のレジャー、秋の行楽シーズン、そして来年の会津方面への修学旅行を復活するきっかけにしてもらおうーという願いも込めています。 |
原発風評被害に関し会津若松市長から支援の要請 | ||
2011/6/7 6/8タイトル変更 | ||
みやぎ会津会は、宮城県内小学校の修学旅行先をこれまでと同様に会津地方にすることを宮城県知事、仙台市長等に要望したところですが、このほど菅家一郎会津若松市長からみやぎ会津会須佐尚康会長に支援要請の文書が届きましたのでご紹介します。 またこの件に関し、朝日新聞は6月5日付け朝刊で大きく報道しました。併せてご紹介します。 |
||
≪会津若松市長 から みやぎ会津会会長への支援要請文書≫ | ||
平成23年6月2日 | ||
みやぎ会津会 会長 須佐 尚康 様 |
||
会津若松市長 菅家一郎 会津若松市教育旅行プロジェクト協議会 会長 菅家一郎 |
||
去る3月11日に発生しました東日本大震災におきまして、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復旧、復興をお祈り申し上げます。 さて、震災から3か月近く過ぎたものの未だ原発事故による風評被害の影響は大きく、例年は宮城県や新潟県をはじめとして、県外より多くの修学旅行生にお越しいただいておりますが、本年度は大多数の学校において会津地方からの行き先変更などの判断をされており、本市の観光産業に深刻な影響が懸念されております。 皆様にはご心配をおかけしておりますが、本市においては市民も平常通りの生活を送っており、児童・生徒たちも屋外で元気に活動しているところであります。また、本市は原発から100km以上離れているいることに加え、途中に阿武隈山系、奥羽山脈等の山々が連なることなどから、県や市独自に計測している大気、水道、農作物の放射線測定結果においても問題は出ておらず、原子力安全委員会「放射線防護専門部会」専門委員からも人体に影響がないとの評価をいただいております。 現在、福島県浜通り地方の大熊町が当市へ行政機能や住民を移し、復興に向け歩み始めており、本市といたしましても、今後とも東北地方の一員として被災地復興に向け最大限の支援を行うとともに、安心、安全な旅行の受け入れを目指して参ります。 皆様におかれましても、広く関係機関、団体などに会津への旅行を呼びかけていただくとともに、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。 |
||
≪6月5日付け朝日新聞朝刊≫ | ||
110605asahi.pdf へのリンク |
宮城県内小学校の修学旅行訪問先をこれまでと同様に会津地方とするよう 宮城県知事、仙台市長等に要望しました |
|||
2011/5/29up、5/30訪問時の写真を追加 | |||
宮城県内小学校の修学旅行はこれまで、その多くが福島県会津地方を訪問先として行われてきました。 ところが、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故で放射能汚染が心配される、との理由で行き先を福島県以外に変更している小学校が後を絶たない状況にあります。 会津地方の中心都市会津若松市は、福島原発からの距離が仙台市とほぼ同じ直線距離約100kmであり、水、空気、食材を含め安全な状況です。宮城県の児童が修学旅行で会津に行くことはむしろ、被災地同士の連携を図ること、さらには児童が正確な情報の大切さと会津に避難している原発周辺自治体・住民の実態について現地で学ぶ絶好の機会であると捉え、有意義なことであると思います。 要望の様子はNHKニュースなどでも紹介され、大きな反響をよびました。
|
|||
(職名) (氏 名) 殿 |
|||
要 望 書 ~ 小学校の修学旅行先を継続して会津地方へ ~ |
|||
みやぎ会津会 会長 須 佐 尚 康 |
|||
3月11日に発生した東日本大震災において、甚大な被害にみまわれたことにより、市民の安全・安心を守るため、ご尽力を賜っていることに心から感謝申し上げます。 私ども みやぎ会津会 は会津の歴史、文化、自然そして人を語り合い、その素晴らしさを将来に繋げていきたいという想いから発足した集まりで、仙台市ならびにその近郊に住む者150名余で活動を行っております。 さて、震災時に発生いたしました東京電力福島第一原子力発電所の事故については、現在もなお収束されない中ではありますが、同じ被災地である仙台市内の小学校におかれては、従来からの修学旅行先である福島県会津地方について放射能汚染を心配され、行き先を他県に変更されている学校が多数に上っていると伺っています。 会津地方の中心地である会津若松市は、福島第一原子力発電所からは、仙台市とほぼ同じ直線距離にして、100キロ程度離れております。また、阿武隈高地や奥羽山脈という二つの大きな山岳地帯に遮られており、水、空気、食材を含め、全く安全であり、安心して観光に訪れることができる状況であります。 この度の原子力発電所の事故で避難を余儀なくされた方々も1万名近くの方が会津地方に避難されております。 しかしながら、世界的に広がる風評被害により観光地として大きなダメージを受けております。 今こそ、被災地同士がお互いに連携して風評被害に立ち向かうべきであり、仙台市ご当局におかれましても様々な施策を展開されているところであると存じ上げます。 こうした中で、傘下の小学校が修学旅行先を会津地方から変更することは、こうした流れに逆行する動きであります。 児童に対しても、このような機会を捉え、正確な情報がいかに大切か、そして会津若松市内には、原発周辺から多くの住民が避難されており、そのような実態を学ぶことも修学旅行として大変有意義であり、大事なことであると思われます。 仙台市におかれましては、是非ともこのような状況を斟酌し、修学旅行先を会津地方から安易に変更されないよう教育委員会を通じて学校長に対して、ご助言されるようよろしくご配慮願います。 また、修学旅行先変更のお詫びを兼ねて、例えば、会津応援ツアーを仙台市として企画するなど被災地相互の連携した取り組みを行うよう要望いたします。 |
震災のお見舞い | |
東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。 みやぎ会津会会員の中にも被災された方が数多くおられることと拝察いたします。 物資が不足している中、春の彼岸の時期としてはとても寒い日が続いています。 健康に留意されますよう、そして一日も早く復旧作業が進むことをお祈りいたしております。 |
|
2011/3/19 (ネット不具合のため、本記事の掲載が遅れました) |
みやぎ会津会第4回総会を開催しました 1月17日、ホテルメトロポリタン仙台 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011/1/23 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|