会津会は、今年で創立104年目を迎えた由緒ある会ですが、今年も会長宛てに総会へのご招待があり、代理で出席してきました。

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伊藤文大会長挨拶
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松平保久第14代当主挨拶
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三浦半島会津藩士顕彰会佐藤良一会長(右)と
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10月22日(土)11時、会場の上野精養軒に会員、来賓185名が出席して会は始まりました。会長の伊藤文大氏の挨拶のあと、平成27年度の事業・会計報告などが続き、役員改選に当たる今年は多少の異動はあったようですが、新執行部は伊藤会長体制で続投されることとなりました。新入会員紹介のコーナーでは、同会員30名のうち当日出席された16名各人がテーブル席で挨拶をされました。男女とも年齢層は幅広くお見受けしました。
会長挨拶では、武士道を引き合いに出され「和をもって尊しを重んじ、正しいことを貫く、義を守る。これを日本の文化として根付けさせる。それが会津会。」というのが印象的でした。
また、来賓挨拶では、会津松平家第14代当主松平保久氏が、「新政府がつくった靖国神社宮司の職を断った父の会津魂」について述べられるとともに、もし明治維新というものがなかったらということに触れられ、2018年会津若松市で催される「戊辰150周年記念事業」にはお手伝いしたい旨、また当事業は会津をPRする大きなチャンスと述べられました。室井照平会津若松市長は同記念事業実行委員会の会長でもあり、来賓挨拶でもPRに力が入っておりました。斎藤文英会津坂下町長は、同じく来賓挨拶の中で、東日本大震災の風評被害はまだ残っているが、「ならぬことは ならぬものです」のフレーズで代表されるように、最近、会津は教育の拠り所という点で全国各地から注目を寄せられているという報告がありました。
懇親会では、隣席の三浦半島会津藩士顕彰会会長佐藤良一氏のお話を聞く機会があり、「三浦半島の観音崎灯台は、異国船警備のため会津藩士により造られたお台場の跡地に築造されたもので、これを知る人は少ない。」。また「当藩士の多くは、警備の任務が永遠に続くものと思い一家をあげて横須賀に移住してきた関係で、ここで生涯を閉じた藩士およびその家族の墓石は、87基が現在確認されている。」と。ボニージャックスが歌った「灯台守」に出てくる観音崎灯台。「メンバーのお一人である西脇さんも確かご両親が会津出身とか、繋がりがあるものですねー。」と。ボニージャックスのメンバーのともお話ができ、皆様みやぎ会津会にも大変興味をもっておられました。特に西脇氏は、会津との縁もあり是非お声掛け下さいとまで言ってくださいました。宴は大いに盛り上がり後半は藤本秀伯社中による会津盆踊りに合わせ参加者は黄色い法被を着て盆踊りを楽しみました。やがて閉会を迎えることとなり、ここではまず第14代当主松平保久氏が会津会万歳三唱を、続いて会津会会長伊藤文大氏が松平家万歳三唱の音頭をとられ散会となりました。
みやぎ会津会は、創立以来来年1月で10回目の総会を迎えますが「会津を想い、語り合おう」そして「会津との懸け橋になれば」というスローガンは、未だ課題はありますが熟成に向って着実に歩を進めております。今回、東京会津会に出席して具体のあり方にやや相違はあるとしても、少なからず会津会の心の琴線に触れることが出来たと思います
本年の総会でも叙勲者への記念品贈呈、敬老杯贈呈、名誉会員松平保久氏の挨拶などのほか、恒例となっているボニージャックスコンサートが行われました。
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