みやぎ会津会 電力から見た会津と宮城のつながり 2017/2/1 up
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  電力から見た会津と宮城のつながり   
  会津は日本有数の水力発電地帯。
  会津で発電されたクリーン電力は宮城・東京の発展に大きく貢献しています。
  その歴史などについて紹介します。
(記=赤塚吉雄)

1.会津における水力発電開発略史


 会津地方の河川は、東側から日橋川水系、阿賀川(大川)水系、只見川水系の三つの水系に大別される。
 これらは会津北部で合流し、阿賀川として新潟県に抜け、阿賀野川と名前を変えて日本海に注ぐ。

 これら阿賀野川水系の流域は福島、新潟、群馬の3県にまたがり、最下流の東北電力㈱揚川ダム(新潟県)における流域面積は6,728km2に及びほぼ島根県の面積に相当する。(会津地方17市町村の面積は5,421km2
 
 流域の代表的な地点の標高は次のとおりである。
  日橋川水系猪苗代湖:514m、秋元湖:736m
  会津盆地:約200m
  只見川水系只見:約390m、奥只見553m
  新潟県との県境に近い上野尻ダム放水路:111m
  揚川ダム放水路:36m

 また最下流揚川発電所における最大使用水量は東北電力㈱管内で一番多い460m3/sである。


 このように阿賀野川水系は、広い流域面積を有すること、標高差が大きいこと、山間地を流路としていること、天然のダムとなる豪雪地帯で河川水量が多いことなど地勢が水力発電に適しており、明治以来大規模な水力発電が開発されてきた。

 阿賀野川水系水力発電所の認可出力は各社合わせ約410万kWで、日本有数の水力発電地帯になっている。

 明治・大正時代には、猪苗代湖~会津盆地間の標高差約300mを利用する六つの日橋川発電所群が開発された。大正3年には猪苗代水力発電㈱が猪苗代第一発電所(最大出力(以下同じ)3.75万kW)を建設、東京・田端変電所まで222kmにわたる画期的な超高圧(110kV、その後154kVに昇圧)遠距離送電により首都圏への電力供給を開始している。

 昭和3年から14年にかけては、阿賀(野)川本流に、東信電気㈱が
  鹿瀬(かのせ、5.42万kW)、  豊実(とよみ、6.18万kW)、  新郷(しんごう、5.16万kW)
 の3発電所を建設、いずれも最大出力が5万kWを超え、総最大出力16.76万kWの大規模発電所である。

 昭和14年、電力国家管理政策に基づき国策会社である日本発送電㈱(日本発送電)が設立され、以後阿賀野川水系の水力発電は日本発送電により開発が行われた。
 日本発送電は、昭和14年から解体される昭和26までの12年間に、
  阿賀川本流に 山郷(やまざと、4.59万kW)、
  只見川本流に 宮下(みやした、9.4万kW)
  秋元湖をダムとする 秋元(あきもと、10.75万kW)
 の3発電所を開発し、
  只見川本流に 柳津(やないづ、7.5万kW)、  片門(かたかど、5.7万kW)、
  上田(うわだ、6.39万kW)、  本名(ほんな、7.8万kW)
 の4発電所を建設中であった。六つの発電所の総最大出力は41.29万kWに達する。

 昭和26年日本発送電が解体され全国に9つの電力会社が設立された。阿賀野川水系発電水利権の帰属については東北電力㈱と東京電力㈱が競い、次のように決定された。
 この水利権の帰属は現在まで変更されていない。
阿賀野川水系発電水利権
 水 系 河 川  所在地  流 域  保有企業 
 阿賀野川 阿賀野川 新潟県   阿賀野川本流及び支流の全域  東北電力 
福島県   阿賀野川本流及び日橋川流域以外の支流  東北電力 
 猪苗代湖、桧原湖、小野川湖、秋元湖、日橋川流域 東京電力 
 只見川 群馬県   尾瀬沼  東京電力 
福島県    滝ダムより上流 (奥只見、大鳥、田子倉、只見の4ダム) 電源開発 
 本名ダムから阿賀川合流点までの下流  東北電力 

 この後、東北電力㈱は
 阿賀野川本流に 上野尻(かみのじり、5.2万kW)、  揚川(あげかわ、5.36万kW)、
 阿賀川に 大川(おおかわ、2.1万kW) の3発電所を
 只見川を下池・沼沢湖を上池とする揚水式沼沢第二発電所(46万kW) を建設したほか
 既存の水力発電所を再開発し出力を増強している。
 電源開発㈱は只見川水系に、
  田子倉(たごくら、40万kW)、  奥只見(おくただみ、56万kW)、  滝(たき、9.2万kW)、
  大鳥(おおとり、18.2万kW)、   只見(ただみ、6.5万kW)
 阿賀川・小野川に 阿賀川を下池・大内ダムを上池とする揚水式下郷発電所(100万kW)
 などの著名な大型発電所を建設している。
 なお、東京電力は、尾瀬沼に有していた発電水利権を、尾瀬沼の自然環境保存の観点から放棄している。

上記の阿賀野川水系水力発電所群を右図に示す。 (出力2万kW以上)
  
赤 東北電力
 
 青 東京電力
 
 緑 電源開発
 ※1 数字は最大出力(万kW)
    (同一地点の合計)
 ※2 円の大きさは出力を示す
 ※3 白抜き円は揚水式発電所

 標高差を利用して階段状に発電所が設置されているのがよくわかる。
阿賀野川水系発電所群 (出力2万kW以上)

2.会津から仙台への電力供給略史
 
阿賀野川水系水力発電所から仙台への電力供給略史は以下のとおりである。

1.昭和17年当時
 日本発送電が保有する小野川、秋元、猪苗代、阿賀野川の発電所群は154kV送電線で連携され、154kV送電線で東京方面、新潟方面、日和田変電所に送電された。仙台方面には日和田変電所で66kVに降圧され連携されていた。
 すなわち、この当時、阿賀野川水系発電電力は主として東京、新潟方面に供給されていたのである。
 右図:昭和17年4月時点送電系統略図
  
茶色 154kV系
  黒色  66kV系(関係系統のみ)
阿昭和17年4月時点送電系統図

2.昭和26年東北電力設立時まで
戦後復興に伴う電力需要増加に伴い日和田変電所から仙台方面への潮流(電力の流れ)が増加し、66kV送電線では限界状態となった。
 このため、秋元発電所~旧仙台変電所間に154kV1回線(旧東北幹線)の送電線が建設され、昭和25年に運転を開始した。
 右図:昭和26年5月時点送電系統略図
  
茶色 154kV系
  黒色  66kV系(関係系統のみ)
昭和26年5月時点送電系統図

3.東北電力設立後
 東北電力設立後の昭和27年、この旧東北幹線は東京電力秋元変電所から分離して東北電力阿賀野川発電所群と直接連携、昭和28年には2回線に増強され、以後会津の水力発電所で発電された電力を宮城・仙台に供給する基幹送電線として宮城の発展に貢献した。
 東北地方の工業生産の伸びは著しく、常時電力需要の増加により水力発電のみでは安定供給をまかないきれず、火力発電を導入して基底負荷を分担、水火併用方式が必要となった。このため昭和34年10月仙台火力発電所が建設された。

4.超高圧送電線路による連携
 昭和34年年6月には東北地方では初めての超高圧275kV本名変電所が運転開始され、広域運営上画期的な意義を持つ東京電力・電源開発との間の超高圧連携が開始された。
 昭和35年4月宮城県で初めての超高圧仙台変電所の建設に合わせ本名変電所~仙台変電所間に275kV東北幹線が送電を開始し、仙台火力と只見川水系水力との水火併用運転を可能とする強力な南北連携ができた。
 このように会津と宮城は阿賀野川水系発電の進展とともに送電線路で強固に繋がり現在に至っている。
 右図:昭和35年4月時点送電系統略図
 
緑色:275kV系
 茶色:154kV系
昭和35年4月時点送電系統図

 その後、常磐地域の火力発電開発、新潟地区での火力発電開発にあわせこれらの発電所間の連携を強化し、東北の背骨部分に500kV送電線が導入されている。
 右図:平成28年時点送電系統略図
 青色 500kV系
 
緑色 275kV系
 
茶色 154kV系






参考文献
 1. ウィキペディア
 2. 東北電力㈱社史
 3. 東北電力㈱パンフレット各種
 4  東北電力㈱ウェブサイト
平成28年時点送電系統図


 【特別寄稿
 本稿のアップにあたり、会員・東北電力常務取締役田苗博氏に寄稿をお願いしたところ、快く引き受けていただきました。以下に紹介します。

~ 会津と仙台(電力編)~

自然豊かな会津は,猪苗代湖などの湖沼をはじめ,只見川や阿賀野川といった河川が流れる水資源に大変恵まれた地域です。この恩恵をさらに豊かなものにしようと,明治時代の後半から次々に電源開発が進められ,現在では水力発電所55個所,総出力約400万kWと国内屈指の水力電源地帯となり,会津の電気が各地に届けられています。

そこで今回,電力からみた会津と仙台の繋がりについて触れてみたいと思います。

日本で最初に「電灯」がついたのは,明治11年3月25日,東京木挽町(銀座)の電信中央局開業祝賀会において,虎ノ門工部大学校(東京大学工学部の前身)の大ホールで初めて「アーク灯」が点灯したとのことです。

その後,日本における最初の電気事業は,明治20年に営業を開始した東京電灯から始まります。

水力発電発祥の地は仙台で,明治21年7月に仙台市郊外の三居沢(さんきょざわ)にあった宮城紡績会社の工場で出力5kWの直流発電を開始したのが最初の水力発電です。そして,これが東北地方に初めて誕生した電気となります。

東北の本格的な電気事業は,それから6年後の明治27年7月,30kWの水力発電により仙台電灯株式会社が仙台市内各地に点灯しました。

一方,会津地方は明治34年11月23日に喜多方水力電気株式会社が大塩川の水を利用して,北山発電所から耶麻郡喜多方町他3ヶ村に電灯,電力の供給を行ったのが最初となります。そして,明治35年1月1日には会津電力株式会社が湯川の水を利用して東山発電所を建設して,当時の若松市,東山村,箕村,町北村(現在4市村とも会津若松市)の一部に電気の供給を開始しました。この2社の開業が会津地方における電気事業の創生期となります。

電気事業の創生期においては夫々地域毎の電気供給であり,仙台と会津の電気としてのつながりは,昭和25年まで待つことになります。

大正を経て昭和に入り,戦後の復興が緒につき,昭和25年,朝鮮戦争特需で好況に転じて以後,産業用エネルギーの電力依存度が高まるとともに,薪炭不足や新しい家庭電化製品が登場し電力不足解消が大きな課題になりました。

そのため,電源開発は不可欠で昭和26年には電源開発推進のため「電力5ヵ年計画」が策定され,只見川は国土開発法に基づく電源開発地域に指定されました。

東北電力株式会社(以下,東北電力)は,電気事業再編政令によって昭和26年5月に日本発送電と東北配電の設備を承継して設立されましたが,このうち会津地区の水力発電所約26万kWを継承しました。

東北電力は創立当初より,白洲(次郎)会長および内ヶ崎社長をトップとして「日本の再建は東北から,東北の開発は電力から」を合言葉に事業にあたりました。とりわけ只見川,阿賀野川水系の水力開発は,東北のみならず日本の経済自立にとって必要不可欠なエネルギー供給源と位置付け,総力を結集して取り組みました。

そして,「日本の復興のために,1日でも早く電気を」という強い使命感で発電所の建設に心血をそそいだ多くの人々によって現在の「大水力電源地帯」がつくられました。

なかでも昭和27年11月に完成した沼沢沼発電所は,豊水時期の余剰電力を利用して只見川から沼沢沼(現 沼沢湖)に水を汲み上げ,必要なときに水を落とし43,600kWもの発電を行う揚水式発電所として当時は東洋一を誇りました。(昭和57年に最大出力46万kWの揚水式第二沼沢発電所が建設され平成14年に廃止。)

只見川の電源開発は,戦後日本の経済を荒廃から立ち直らせ,近代化への原動力として果たした役割は非常に大きく,日本の産業そして会津地域に及ぼした影響は非常に大きかったといえます。

また,電源開発が只見川下流から上流へと進むにつれて,川沿いの水没道路は付け替えられて拡幅改良されていきました。そして,終戦時は宮下までだった鉄道が工事用資材運搬の大動脈として只見まで延長され,只見線開発促進の基盤づくりとなり昭和46年8月には小出(現魚沼市)までの全線開通を迎えました。

このようにして会津地区で開発された水力発電所群の電力は,昭和26年当時,東北電力の総発電電力の約30%を占めており,この電力を会津から仙台に運ぶため昭和25年に「東北幹線」と呼ばれる15万V,約100kmの送電線が完成しました。本格的に仙台と会津が電気で結ばれることになったわけです。

さて,この「東北幹線」という名称に関して,現在,送電線の名称は送電線が経過する代表的な山地や地域などから命名しており,さらに「幹線」は電力系統の大動脈となる送電線に付与するのが一般的であります。したがいまして,「東北幹線」は東北の電力供給を支える最も代表的な送電線として,会津と仙台を結んでいたということになります。ちなみに,「東北幹線」は現在も会津と仙台を結ぶ基幹送電線でありますが,現在は27万Vに送電電圧を上げて米沢を経由して仙台まで電力を運んでおります。

また,電力の安定供給のために通信設備は欠かせない存在ですが,昭和28年に日本で初めて2,000MHzのマイクロ波無線基地局を設置して会津から仙台まで電波で結び,電力設備や系統の監視制御,送電線故障時の早期復旧に寄与しました。その後は,マイクロ波無線を中心とした通信設備の拡充強化が行われ,現在の安定供給を支えるようになりました(マイクロ波無線の実用化は当時の電電公社より早かった)。

※テレビ放送や携帯電話で使用するマイクロ波は500~1,500MHz

以上のように,水力発電発祥の地である「仙台」と,国内屈指の水力電源地帯である「会津」とは60年以上も前から送電線という絆で結ばれ,会津の電力によって戦後東北の復興と産業,経済の発展を支えてきました。

その後,電力供給の主流は,火力発電や原子力発電となりましたが,平成23年の東日本大震災以降,再生可能エネルギーが注目され,現在,太陽光や風力を主とした多くの発電所が建設されております。このようななか,古くから自然豊かな水資源を利用し,安定的に電力を供給する水力発電は再生可能エネルギーの代表格であり,明治から昭和にかけて多くの水力電源開発を行ってきた会津地方はこれからも電力供給の面で重要な役割を果たしていくことが期待されます。

最後に,冒頭ご紹介しました水力発電発祥となる三居沢発電所は,平成20年に日本国内の機械技術面で歴史的意義があるとの評価がなされ,日本機械学会より「機械遺産」として認定を受けております。発電所の隣にある三居沢電気百年館では,電気の歴史や発電の仕組みについて紹介しており,ガラス越しに現在も発電を続けている水車発電機を見学できますので,近くにお越しの際は是非ご覧ください。                                                         以上

(平成281022日/文責:田苗 博)