みやぎ会津会
活動2008 このページでは、
2008年(平成20年)のみやぎ会津会の活動を紹介しています
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2008年(平成20年)の活動
1月28日 第1回総会
5月8日 第1回例会
8月18日 第2回例会
10月25日 (東京)会津会出席
11月10日 第3回例会
11月28日 在仙福島県人会出席



 
 在仙福島県人会に出席してきました
             
(在仙福島県会出席報告 みやぎ会津会事務局長 金田万庫) 
up 09/1/3
                       在仙福島県人会出席の記 (平成20年11月28日 於ハーネル仙台)
 先般ご招待があり、須佐会長と出席してまいりました。          
 同会は福島県中、県北部、いわき地区を中心に80名弱の会員を有し活動していますが会津地区の会員は少ないようでした。
 当日も50名弱の参加者がありましたが、会津の方は我々二人の他は会津若松市、喜多方市の方夫々一名のみでした。
 会の特徴は、資料にも宮城県内にある出身高校の支部の紹介があり、余興ではその支部毎に校歌を紹介しあうことなどでした。
 司会より会の途中で我々「みやぎ会津会」のご紹介があり、私から発足の経緯、これまでの活動内容と今後の計画等について、そして会津にご興味のある方は是非参加して欲しいとPRしてまいりました。
 以上簡単にご報告申し上げます。
 なお同会への連絡先は以下のとおりとなっております。電話番号については事務局までお問い合わせください
          在仙福島県人会
            幹事長 佐藤 雄様 
            事務局 加茂 学様 
                                                      以上                                   




 
第3回みやぎ会津会例会を開催しました
up 08/11/20
 第3回例会は、11月10日(月)18時から仙台駅東口・仙台ガーデンパレス鳳凰の間を会場に開催されました。参加者は61名でした。
 初めに須佐尚康会長から、本日の講演者新井田傳氏について「会津若松市出身の氏と会社設立直前ある会合でお会いしたとき、まだ上場前なのに『将来一部上場を目指す』と断言されたがそのとおりになった。その計画性とパワーは敬服の至りであり、本日のご講演ではその経過などをお聞かせいただけるものと思い、楽しみにしてお待ちしていた。」との挨拶がありました。
講演前、須佐会長と談笑される新井田氏 冒頭の須佐会長挨拶

 いつものとおり例会は講話、懇親会の2部構成で進められ、穴澤鉄男幹事が進行役を務めています。
新井田氏のプロフィル
 会津若松市出身、昭和19年5月生まれ64歳、
 福島県立会津高等学校、東京服部栄養学校卒業後ご父君の設立された味よし食堂(現幸楽苑)に入店
 昭和45年㈱幸楽苑を設立代表取締役専務、昭和53年代表取締役社長、その後代表取締役会長を経て現在は再び代表取締役社長
 この間郡山商工会議所常議員、現在同商工会議所副会頭
 平成20年6月には福島県経済功労賞を受賞
 著書に「なぜ取締役を目指さないのか!-390円らーめんで一部上場した男の哲学-」 ㈱財界21発行

㈱幸楽苑の概要
 創業昭和29年、事業;らーめん店のチェーン展開
 資本金26.6億円、従業員数(正社員・パート含め)3,800人強
 本部;郡山市、工場;郡山市・小田原市・京都府
 店舗数;430店舗(1都2府26県)、売上高;328億円
 平成14年東証第二部上場、平成15年東証第一部銘柄指定
 講話は、㈱幸楽苑代表取締役社長新井田傳(にいだつたえ)氏から、「らーめんで薩長を攻める ~会津藩の教えで世直しを~」と題して約1時間にわたりお話を伺いました。講話に先立ち、赤塚吉雄常任幹事から新井田氏のプロフィル及び㈱幸楽苑の概要が紹介されています。(右の囲みを参照して下さい)

 氏はまず会社の略歴を述べられてから、外食産業の現状と今後の見通し、会津の伝統、会社における教育及び薩長への出店などについて次のように語られました。(要旨)
 
外食産業界は、ファミリーレストラン、ハンバーガー、居酒屋・回転すし・牛丼など大手チェーン店の寡占状態で成熟しており、伸ばすべき業界売上高は残っていない。ハンバーガーではマグドナルドが68㌫のシェアを獲得している。一方らーめん業界は個人店が83㌫を占め大手というものがなく、チェーン店が業績を伸ばす可能性を大きく秘めている。日本のらーめん市場規模は7,000億円で、このうち50㌫のシェアを獲得できれば3,500億円の売りあげになる有望な市場である。
 現在の当社の400店舗を2年後には500店舗、10年以内には1,000店舗とし、らーめんのマグドナルド版を完成させたい。そのときには北海道から九州までの店舗展開となる。現在の3工場の生産能力は1,000店舗に対応できるようになっている。
 そのためには、マグドナルドが世界のどの店に行っても ①価格が安い、②品質が安定してる、③サービスが良い、④清潔である、というの4つの条件を満足させてシェアを確保しているように当社もこの4つの条件を遵守して店舗を展開していく。この条件を1,000店舗においてマネジメントできれば海外出店は可能になる。韓国人はインスタントらーめんが大好きである。中国では日本のらーめんは「日式らーめん」と呼ばれブームになっている。アメリカはカップヌードルの消費量が多く、パリではラーメンの繁盛店がある。しかし価格は高く、店は汚い。ここにチャンスがある。世界中に幸楽苑の看板を掲げたい。
新井田氏の熱のこもった講演 会場風景 左奥新井田氏、手前プレゼン操作

 出身地会津は心の拠り所である。会津魂を全国に普及させ世直しができたらうれしい。バブルの時期から今日まで三流政治が続いた。内閣総理大臣の就任期間は平均1年4ヶ月。これでは良い仕事ができるわけがない。この二流・三流の日本の将来を若者に託すためには歴史に学び日本を変えていかなければならない。会津藩の歴史がそれを教えている。幕末には悲劇の一因にもなったが、会津藩は藩祖保科正之公の教えを日新館での教育を通して200年余守り通した。このように教育の力は偉大である。清貧の教えを我々が伝播していかなければならない。
 現在社長業の80㌫を社員採用、教育の業務に投入している。毎年100人の大卒を採用しているが、会社の発展は教育のいかんに懸かっており、純粋・純真な人材を教育するのが一番である。鉄は熱いうちに打たなければならない。当社ではこの結果人材の蓄積が進み、当社の離職率は23㌫で、一般会社平均の38㌫、外食産業の51㌫を大きく下回っている。学校では十分な教育ができていない。分からないのではない。教えられていないのである。教育は企業で、会社で学ばせなければならない。
 明治8年生まれの祖母に、会津は賊軍ではない、天皇をお守りしたのだ、薩長を許してはならないと常に言われて育った。この会津人の誇りが私の信念に結びついている。らーめんのマグドナルドを目指す1,000店舗展開の中で、薩長の中心地に幸楽苑の看板を立ててみせる。会津人の意地を見せ、繁盛させて地元の人々に素晴らしいらーめん屋であると言わせたい。
薩長への出店について 講演が終わり質疑の場面

 この後質疑があり、「同じ品質ということであるが関西と東北の味は同じか、薩長への出店はいつごろか」との質問に対し、「味は同じにしている、薩長への出店は10年後までに果たしたい」と答えられています。

 懇親会の前に金田万庫事務局長から報告と提案がありました。
 報告は東京会津会への参加に関するもので、「10月25日上野精養軒で開催された東京会津会にみやぎ会津会須佐会長宛てに参加の案内があり、代理で出席してきた。140年の歴史を誇る会で130人ほどの参加者があった。最後のバンザイ三唱は『松平家バンザイ』というもので、みやぎ会津会とはやや趣を異にしている。会誌が年一回発行されており、会津に関する記述も多く掲載されている。」というものでした。
 提案は現在会津で進められている会津能楽堂建設事業への協賛に関するもので、「『みやぎ会津会』の名前で協賛すべく今後役員会で議論の上、例会費に一定額を積み上げて徴収させていただき建設資金の一部として拠出していきたい。」というものでした。
金田事務局長による東京会津会への出席報告等 上野省蔵さんによる「会津大津絵節」の朗唱

会津大津絵節
大津絵節は江戸時代に流行し明治に入っても広く歌われた俗謡で、東海道要所の近江大津の遊里で遊女らが歌い出したものと言われます。  元唄の大津絵節は、この土地の民画「大津絵」を歌い込んだもので、この歌が全国に伝わり「京都大津絵節」「会津大津絵節」などになっています。「会津大津絵節」は白虎隊を歌い込んでいます。
頃は戊辰の 中の秋 二十三日の 朝まだき 戸の口原の 戦いに やむなく引き上げ 滝沢の 飯盛山に よじ登り 刀を杖に 見下ろせば 炎の中に 鶴ケ城 早これまでと 十九人 潔く 血潮に染みし もみじ葉の 赤き心を 偲ぶれば 袖に露散る 白虎隊』
 懇親会は菅家延征常任幹事の乾杯の発声で始まりました。
懇親会の中では、余興として民謡の上野省蔵さん(会津若松市出身)から「会津大津絵節」が披露されています。

 中締めは、高橋信副会長が行い、次回は第2回総会として平成21年1月26日(月)に開催するので各自スケジュールの調整をお願いしたいとの要請がありました。




 
東京会津会に出席してきました  
(東京会津会出席報告 みやぎ会津会事務局長 金田万庫)
up 08/11/20
 会長宛平成20年度総会への招待があったことから、代理出席してまいりました。
 10月25日、秋晴れの土曜日でしたが、関東近辺の方々総勢130名が集まり東京上野の精養軒に於いて開催されました。
 出席して先ず驚いたのはその歴史の古さであります。 役員の方に「いつ頃からの会ですか」と聞いたところ「140年は超えている・・」とのことであります。 今年は戊辰戦争後140年、その前から江戸で殿様の所に集まった人々で結成されたのが始まりとの説明でありました。 まさかと思い、後日東京の事務局に電話で再確認したところ、当時の新聞記事に「明治45年4月20日に会津会が結成された」記載があり、「もうすぐ百年になる」と説明がありました。 何れにしても、その伝統の古さには驚かされました。
 また「凄い」と思ったのが初代保科正之公から第十四目の当主となる松平保久氏も出席されており、閉会の万歳三唱の音頭をとられたが、その前に川島廣守会長の音頭で「松平家万歳」の三唱があったことでありました。
 常設の事務局も持っており一冊の本とも言える素晴らしい会報も発刊しています。 その会報は会員以外にも有料で販売しているとのことでありました。 内容もしっかりしており「西郷頼母・きみと依田勉三」や「戊辰戦争後、活躍した群像(ひとびと)」など、興味深い記事も掲載されておりました。
 当会は「会津を想い、語り合おう」そして「会津との懸け橋になれば」とスタートしたばかりで「魅力ある会活動とは」、「若い会員の育成策は」等が直近の課題でありますが、目指すところは若干違うとしても、あれだけ会津魂に頑固にこだわる東京・会津会には何か魅力を感じるものがありました。
 なお、当方からは「是非、東京・会津会が音頭を取って全国会津会サミットみたいなものを企画してほしい」とお願いして参りました。

                                          




 
第2回みやぎ会津会 例会を開催しました
up 08/8/22
  第2回例会は、平成20年8月18日(月)、仙台駅東口・仙台ガーデンパレス鳳凰の間で18時30分から開催されました。参加者は当日参加も含め66名でした。 冒頭に須佐尚康会長から、お盆休みで帰郷した金山町では「みやぎ会津会」に対する関心が非常に高かったこと、今後の会の継続発展には青年層の活動が大切でありそのための方策を検討・推進していきたいとの挨拶がありました。

 例会は、講話、懇親会の2部構成で進められ、穴澤鉄男幹事が進行役を務めています。
 講話は、石巻赤十字病院院長飯沼一宇(いいぬまかずいえ)氏を講師にお招きし、「白虎隊の孫が語る『幕末の会津』」と題してお話しいただきました。初めに同氏は、「タイトルは『幕末の会津』であるが、幕末から維新後を生きた会津人について話したい」と述べられ、祖父である白虎隊士飯沼貞吉を主体に著名な会津人である山川健次郎、柴五郎について約45分にわたり語られました。
 
飯沼貞吉については、家系、藩校日新館における教育指針・什(じゅう)の掟、白虎隊の組織、飯盛山における自刃と助けられ蘇生するまでの経緯、長州藩士の凱旋に伴われての長州滞在、その後逓信省に勤務し仙台で没するまでの生涯について、お身内ならではの情報を交え詳しく解説していただきました。飯盛山の参道店頭に展示されている貞吉翁の晩年の風格ある写真が一宇氏の育った仙台の自宅で撮影されたものであること、貞吉翁が記憶に基づき絵師に書かせたという(一宇氏の長兄宅に保存されている)飯盛山における自刃の図などもスライドで紹介いただきました。飯盛山での自刃の状況など初めて聞く事実も多く、参加者一同大いに心を打たれました。
 山川健次郎については、飯沼貞吉母方のいとこにあたり貞吉と同様白虎隊士であること、維新後選ばれてアメリカ・イエール大学に国費留学その後東京帝大物理学教授・理学博士、東京・京都・九州各帝大の総長を歴任された会津を代表する偉人であることなど、一宇氏はその功績を述べられました。
 柴五郎については、旧会津藩士が移住させられた斗南藩(となみはん、現青森県むつ市に藩庁を置く)で辛酸を嘗めた後陸軍幼年学校に進み、陸軍大将まで昇進した軍人で、清国駐在武官時代に発生した義和団の乱(清国の攘夷行為)の際に卓越したリーダーシップを発揮し、後日各国から勲章を授与されるなど国際的な功績があったことを紹介された後、中公新書「ある明治人の記録-柴五郎大将の遺書」に記された涙なくしては読むことのできない斗南藩時代の生活の様子の一部を読み上げ、読んでない方は是非一読されるよう勧められました。


 懇親会は酒井紘副会長の開会挨拶の後、渡部要次監事の乾杯発声で始まりました。乾杯に先立ち、喜多方市から駆け付けていただいた会津喜多方商工会議所副会頭風間常義氏からみやぎ会津会に対する激励の挨拶とともに、懇親会へ差し入れていただいた喜多方産銘酒「会津ほまれ」についての紹介がありました。ありがとうございました。
 懇親会ではお二人の方からスピーチをしていただいたほか、”会津若松”が歌詞の冒頭に入っている歌謡曲「たずねてみちのく」が持ち歌の日本クラウン専属歌手鴻巣巧一さんの特別出演があり、大いに盛り上がりました。

 中締めは赤塚吉雄幹事が行い、「次回第3回例会は11月10日(月)に予定しており、講話については会津出身でラーメンチェーン店を全国的に展開している㈱幸楽苑の代表者新井田傳(にいだつたえ)氏にお願いしている」との紹介がありました。
会に先立ち須佐会長の挨拶
今回は円卓を囲んでの例会でした 壇上は須佐会長 飯沼一宇氏の冒頭挨拶
講話される飯沼氏 日新館 什の掟 を説明する飯沼氏 
懇親会の部 乾杯は渡部要次監事(左)
挨拶される喜多方商工会議所副会頭風間常義氏(右)
「たずねてみちのく」を唄う日本クラウン専属歌手鴻巣巧一さん



 
第1回みやぎ会津会 例会を開催しました
up 08/5/22
 役員会・事務局が準備を進めてきた第1回みやぎ会津会例会は、平成20年5月8日(木)18時30分からオンワード樫山仙台支店を会場に開催されました。
 例会は、「研修会」と、「懇親会」の2部構成とし、61名の方々が参加しました。
 研修会では、お二人に講師をお願いしました。お一人目は、会場を提供していただいたオンワード樫山のメンズ・レディーメード販売課杉本大雄氏で、「クールビズ・ガイダンス」と題して省エネ時代のクールビズについて考え方とおしゃれな装いをポイントにお話しいただきました。夏に向かう季節のタイムリーな話題に会員から多くの質問が飛んでいました。

 研修会お二人目の講師には、遠藤敬止顕彰会会長新城猪之吉氏(末廣酒造第7代目社長)を会津若松市からお招きし、「遠藤敬止を語る」と題して遠藤敬止翁の会津と宮城との関わり、経歴、功績などについてお話しいただきました。顕彰会会長ならではの情報をもとに逸話も交え、ユーモアある語り口で熱弁をふるっていただき、会員一同深い感銘を受けました。新城猪之吉氏はこの日、遠藤敬止翁の墓所・仙台市新坂町充國寺に墓参されてから会場に来られたとのことで、みやぎ会津会には今後墓守をお願いしたいと話されております。

 懇親会は、酒井紘みやぎ会津会副会長の開会挨拶、石巻赤十字病院院長・東北大学名誉教授飯沼一宇(かずいえ)氏の乾杯発声で始まりました。
 飯沼一宇氏は、飯盛山で自刃後助けられて甦生した白虎隊士飯沼貞吉(後に貞雄と改名、昭和6年仙台にて病没・77歳、墓所は仙台市北山輪王寺)の孫にあたられます。
 懇親会では、例会案内の際スピーチを希望する方を予め募集しましたが、今回はお二人の方にスピーチをしていただいております。
 また、オンワード樫山仙台支店が入居しているビルは仙台市都心部にあって最近新築された建物ですが、ここを今回の会場として提供していただいたみやぎ会津会幹事・オンワード樫山仙台支店長梅宮栄八郎氏から建物の紹介などをしていただきました。

研修会会場の様子
研修会に先立ち須佐みやぎ会津会会長の挨拶 オンワード樫山杉本氏の「クールビズガイダンス」
”遠藤敬止を語る” 遠藤敬止顕彰会会長・末廣酒造社長7代目新城猪之吉氏
懇親会開会挨拶の酒井みやぎ会津会副会長と会員 乾杯ご発声の石巻赤十字病院長飯沼一宇(かずいえ)氏
自著「奥会津に生きた、しぇんしぇい産婆」手にスピーチする 長谷川正人氏 前宮城県秘書課課長補佐西村晃一氏のスピーチ
会場の提供者・オンワード樫山仙台支店長梅宮栄八郎氏の建物紹介などのスピーチ 中締めは、元会津大学学長 野口正一氏




 
 みやぎ会津会設立総会・記念パーティを開催
up 08/3/1
 平成20年1月28日18時30分からホテルメトロポリタン仙台4階・千代の間で、みやぎ会津会設立総会を開催し、引き続き同会場で記念パーティを挙行しました。
 設立総会には、総会までに加入した会員102名が出席。発起人会代表の須佐尚康氏の挨拶ののち議長に同氏を選出して議事に入り、会則、役員、20年度事業計画案、20年度予算案がいずれも事務局提案のとおり承認されました。会長には須佐尚康氏が就任しました。
 その後役員の紹介があり、設立総会は終了しました。役員名簿/会則はこちらをご覧下さい。
受付中の会員 須佐尚康発起人会代表の挨拶 事務局の議案説明

 記念パーティの司会は仙台放送の梅島三環子アナウンサーにお願いし、須佐会長の挨拶で始まりました。
 パーティには会津地方全17市町村の首長(うち3名の方は代理)の皆さんが会津からお祝いに駆けつけられ、代表して菅家一郎会津若松市長が祝辞を述べられました。また地元"みやぎ"からは、ご来賓として村井嘉浩宮城県知事、梅原克彦仙台市長、丸森仲吾仙台商工会議所会頭のご出席をたまわり、みやぎ会津会の設立を祝い、今後の活動に期待する旨のあたたかいご挨拶をいただいています。
 祝宴は野口正一元会津大学学長の乾杯で始まり和やかにすすめられました。宴の途中ではアトラクションとして、これも会津から駆けつけていただいた日本コロンビア民謡歌手歌川重雄氏の率いる「会津民謡歌川会」のかたがた6名による会津民謡、白虎隊剣舞が披露され、盛んな拍手を浴びていました。
 後半は、会津の首長さんが地元から持参した名産品を抽選で参加者に配るイベントで会場は宮城と会津が一体となり、名産品をさかなに話題はおおいに弾みました。

2008年1月28日,Hメトロポリタン仙台で開催された「みやぎ会津会設立総会・記念パーティ」に出席された会津17市町村首長のみなさん
司会 仙台放送梅島三環子アナウンサー パーティでの須佐尚康会長挨拶 菅家一郎会津若松市長祝辞
村井嘉浩宮城県知事と梅原克彦仙台市長 丸森仲吾仙台商工会議所会頭挨拶  野口正一元会津大学学長による乾杯
アトラクション -1 アトラクション -2 名産品抽選会
 
出席のご来賓、特別参加の皆さん(敬称略)
地域・役職 氏名 地域・役職 氏名 地域・役職 氏名
宮城県・知事
仙台市・市長
仙台商工会議所・会頭
会津若松市・市長
喜多方市・政策企画部課長
下郷町・町長
桧枝岐村・村長
只見町・町長
南会津町・企画観光課長
北塩原村・副村長
村井 嘉浩
梅原 克彦
丸森 仲吾
菅家 一郎
菅野 康裕
湯田 雄二
星 光祥
小沼 昇
星 廣政
小椋 敏一 
西会津町・町長
磐梯町・町長
猪苗代町・町長
会津坂下町・町長
湯川村・村長
柳津町・町長
三島町・町長
金山町・町長
昭和村・村長
会津美里町・町長
山口 博績
五十嵐 源市
津金 要雄
竹内 昰俊
大塚 節雄
井関 庄一
齋藤 茂樹
長谷川 律夫
馬場 孝允
渡部 英敏
会津三里町・商工観光課長
両沼地方町村会・事務局長
日本コロンビア・民謡歌手
会津民謡歌川会
 〃
 〃
 〃
 〃
㈱福島民報社・代表取締役副社長
 〃       ・仙台支社長
星 次
古川 恵美
歌川 重雄
長嶺 忠雄
石田 清一
根本 正明
千葉 静子
長嶺 ノブ子
渡辺 英範
佐藤 正則



設立総会・記念パーティーにご出席頂いた皆さまへ
みやぎ会津会事務局
 1月28日の設立総会そしてその後の記念パーティーには大勢の方々にお集りいただき、大変ありがとうございました。スタートに相応しい盛大な会とすることができましたことに心からお礼申し上げる次第であります。
 会の発足については、昨年の7月頃より準備を進めてまいりましたが、発起人の方々も仕事を抱えながらの素人の集まり、準備万端とは参りませんでした。 設立総会当日の準備も「ぶっつけ本番」の面を多々抱えながら迎えたことも事実であります。
 特に、総会当日の参加者につきましては、新聞で紹介されたこともあって、日が迫るにつれ、また当日になっても申し込みが続き、100名程度の予想を大きく上まわる132名の方の参加となりました。
 そんなこともありまして、会場のテーブルを増さざるを得なくなり、皆さまには大変窮屈な思いをさせる結果となってしまいました。 当然、料理も足りなくなり、慌てて追加をいたしましたが、出てきたのが中締めの後となりタイミングを逸してしまいました。
 設立総会を心待ちにしていた皆さまには大変申し訳のない対応となり、失望させる結果となってしまったのではと反省しております。 事務方として衷心よりお詫び申し上げる次第であります。
 今後の例会・総会にあたりましては、この度の反省を教訓に準備に遺漏の無いよう整えて参りますので、ご寛容くださいますようお願い申し上げます。
 先ずは報告方々お詫び申し上げる次第であります。

みやぎ会津会設立総会の案内状・新聞など(PDF)
「みやぎ会津会」の参加案内(平成19年10月吉日) 設立総会参加者への礼状(平成20年2月1日) 
設立総会を伝える福島民報(平成20年1月19日) 設立総会を伝える河北新報(平成20年1月24日 )
設立総会を伝える福島民友(平成20年1月24日) 設立総会を伝える朝日新聞
設立総会開催を伝える福島民報(平成20年1月29日) 設立総会開催を伝える福島民友(平成20年1月30日)
福島民報みやぎ会津会設立広告(平成20年1月28日) 福島民友みやぎ会津会設立広告(平成20年2月10日)
福島民報須佐会長へのインタビュー(平成20年2月10日)